音楽と文学、高橋悠二。演奏する側の論理。即興演奏。

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保坂: (「文學界」の連載「カフカ式練習帳」のことを考え始めていた)2008年は、僕がはじめて高橋さんに直にお目にかかった時で。そのシューベルトのコンサートの時に、譜めくりの人がめくりそびれたんですよね。実際に「カフカ式練習帳」が始まったのは、譜めくりをめくりそびれた人を書きとめたことが始まり。で、なにかと縁が深い(笑)。
高橋: やっぱり、人の失敗の方が面白いわけですよね。
ピアニストっていうものは、暗譜して弾くというのがいつからか常識になってるんですよね。だけどその前(19世紀中頃以前)はどうしたかというと、自分でめくってた。それで、めくるときに手が離れるから止まると、お客さんはそれを待っていた。だからあわててパッとか、めくりそこなうとか、そういうことはあり得なかったんですよ。落ち着いてめくって、また次をやればいいわけです。
保坂: カフカの書いたものを読んでると、自分で文章書く時に接続詞を使うことがすごい嫌な感じがするんですよ。なぜかっていうと、何か書いて、「しかし」とか「だから」ってすると、次に書く内容は「しかし」に該当する内容になっちゃう訳ですよね。接続詞っていうのは、読者のためにというよりも、書いている自分を救うというか、ちょっと安心させるためについ使っちゃうんじゃないか。書いている自分に「すこし文章を俯瞰できる位置に自分はいるんだぞ」って安心させるための訓練を子供の時から受けてるから。だから、最近、できるだけ接続詞っていうのを使いたくないんですよね。だけど、使わないと不安なんですよね。それは読者に対する不安っていうんじゃなくて、自分に対する不安なんだと思うんですよね。でも、あんまり使わないで書いてたら、頭がおかしくなっちゃうかなって気もするんですよ。(…)
高橋: 音楽でいうとね、20世紀の初めに、並列式のつくり方っていうのができたと思うんですがね。ストラビンスキーとかそうなんだけど。その前のマーラ―とかブルックナーとかワーグナーとかそういうものは、連続してうねりながらどっかへ行く。そういういことではなくて、ひとつのものがあって、途切れて、違うものが出てきて、そういうようなつくり方ですよね。それは入れ替えてもいいわけだけど。入れ替え自由ってことになると、20世紀の中ごろ、たとえばケージとか、これやって、これやって、その逆でもいいし、あるいはやらなくてもいいし、そういうチョイスがあるみたいな。だけどそれは演奏する側、あるいは作曲する側のチョイスで、音楽聞く側にはチョイスがない訳ですよ。
高橋: カフカは事柄の中心からいきなり始まるって言われるでしょ。中心から始めちゃった場合、そこから出ていくしかないでしょ、そういうやり方っていうのは新しいんですか?
保坂: 知らないです。(笑)
高橋: 伝統的なやり方っていうのはあるんですよね、書院づくりというのがある。部屋があって、部屋を出ると別の部屋があって、その度に違う空間に入っていくわけです。全体というものがない、部分しかない。それから回遊式庭園。それは池のまわりをめぐっていって、茂みがあって、別の風景になる。だからそれはけっこう伝統的なつくり方でもあるっていう。
保坂: 小説は、ヌーヴォーロマンとかごく一部をのぞいてすごく保守的で。音楽とか美術にくらべてすごく狭い。
高橋: そうですかね? それは保坂さんがっていうことでしょ? 自分がみんなであるっていう幻想がどこかにあるわけでしょ? だから書いていられるわけでしょ?
保坂: カフカがほとんど点も打たずにバーッと書きつづけた。万年筆のすべりをすごく気にしたっていうぐらいで。『判決』を一晩で書くというのはものすごい早いんですよね。カフカの場合には、カフカが書いた早さで読者は読めるのかなって。
よく、「もっと読者のことを考えよ、書き手の思うように書くだけじゃないんだ」みたいな言いかたを小説に対してするんです。だけど、どんなに書き手が読者のことを考えていないかのようであっても、読者はとにかく小説として完成されたものを読めるわけだから、それはもう十分読者の側に立ってるんですよね。それはカフカが一気に書くっていうことを考えるまでは考えなかったことなんだけど。もし、これからパソコンで小説を書く場合に、パソコンの容量がすごく増えたら、著者が書いていく通りの時間で読者は小説が見れるんですよね、読めるっていうか。(…)
高橋: 即興演奏するでしょ。弾いてる速度で作ってるとも言える訳ですよ。字を書くよりも音を出してる方が、手は簡単だけど。カフカの書くものを、原稿の写真版とかで見ててね、こうペンが動いていく、その速度で書いているっていうことは、もうすでに読者の側にそれが立ってるっていうふうに思うんですけどね。たとえば入眠時幻覚がありますよね。彼が役所勤めから帰ってきて、散歩かなんかして、疲れて。疲れきってなきゃいけないんだよね、それは。それはね、疲れきってないといけないと思うんです。疲れきってないと、身体が抵抗している。自由になれない。
ちょっと話がずれますがね、クセナキスの曲を弾く時にね、ちょっと普通じゃ弾けないような感じで難しい訳でしょ、それをある速度でやっている。そうするとコントロールよりちょっと上の何かが起こるわけ。そうするとね、もう疲れきっちゃうわけですよ。で、疲れきったときに手がすごくよく動くようになるわけ、軽くなってね。そうした時にはじめて弾けるようになるんですよ。だからね、コントロールしてやろうと思っている、その時はできないわけ。
だからね、たぶんイメージが浮かぶのだって、疲れきって、横になって、眠りかかった時に浮かぶものというのは、机に向かって、書こうとして、何かを思い浮かべて、ってそういうレベルじゃないわけですよ。そこで書き出すわけでしょ、書き出すと今度手が動き出して、それでなんだか知らないけど話ができていく。それでそれに付いて行く。「作家がペンについていく」って言い方しますよね。「随筆」ってことばがあるでしょう。だからそういうものなんですよね。なんか、こう、思ってちゃいけないわけ。
それで、そういうことは、割と音楽的なアイデアだと思うんですよ。演奏するときにこうやろう、なんて思ってちゃいけないわけ。そのままなにも考えずにやらないと、なにもできなくなるのね、自分の考えに縛られて。だから普通と逆というようなことになるんだけど、ものを論じる人っていうのは、そうやってあれこれ考えてから対象を論じようとするから、分からないんじゃないかと思うんですよ。



 2013_10_13


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篠田道朗

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