> フリービーの一言 2011年12月22日
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ジャズ評論家の方々もコテコテのジャズは語れても巷のバンドの歴史は解っていないようだ。戦後アメリカ軍の置き土産として大衆に浸透したジャズは高度成長ブームの波と共に全国に広がっていった。中心はやはり当時の娯楽の殿堂赤坂だろう。その華やかさは当時学生だった自分にとっても眩いばかりだった。コパカバーナ(デビ夫人とスカルノ大統領が出会ったクラブ)やラテンクオーター(社交嬢全員英語が堪能)などそれぞれ特色のある店が多かった。バンドも大編成が多く、オフのスタジオミュージシャンや楽器屋、仕事の情報を求める輩でいつも賑わっていた。オーディションもかなり厳しく芸大の学生もよく落ちていた。特にリズム隊のオーディションは過酷である。
バンマスとコンマスのOKが出るまでひたすら試される。だめなら1ステージでおろされる。よければショー伴へ。タレントや歌い手の不安げな表情によけいプレッシャーがかかる。事なきを得ればメンバーやバンマスがにこやかに迎えてくれる。ギャラの交渉、スケジュール調整へと進む。こうして生活の為に音楽することを学んで行く。音楽サラリーマンと酷評されたが職業音楽家とアマチュアの壁は依然として厚い。
当時の雰囲気が少しでも伝われば幸いだと思う。
酒とバラの日々
 2011_12_22




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プロフィール

篠田道朗

Author:篠田道朗
Musician
Musicologist
国立音楽大学
音楽学専攻
ジャズ、ポップス
クラシック多彩な
レッスンを行っています。
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