芸術を代表する文学それから絵画、彫刻、音楽、それぞれに適切な箱が大切だ。文学にはそれらをゆったり楽しめる住環境(別荘や書斎、暇な時間)、絵画や彫刻にはミュージアム、音楽にはオペラハウスやライブハウスが必要だ。ヨーロッパから出稼ぎに来た有名画家の絵や彫刻に興味はない、文学作品は老後の楽しみだ。音楽の楽しさは演奏される場所(空間)と人間の多様性にあると思う。立川や福生のミニクラブにあった壊れたピアノで弾く客の歌伴、悪酔いした客の罵声。新宿の老舗ダンスホールの薄暗い通路の意味不明なろくでもない落書き。クビになったドラムに変わって不規則にリズムを刻むドンカマ。すべてが音楽のスパイスになる。社会が2極化しつつあるいま、場末を見つけ出す事が困難になりつつある。悪の温床にもなり得る場末だが中身の濃い文化を生み出す生命力を秘めている。新潟には裏日本一の赤線地帯があった事をご存知の方も多いのでは?
新宿ゴールデン街
新宿ゴールデン街
過激な音楽批評1970年代
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新潟出身の音楽批評家、間章(あいだ あきら)氏をご存知だろうか。70年代の音楽界の論客である、とくにジャズやロックの世界では圧倒的な影響力をもっていた。現代音楽の評論家たちも一目おく過激さをもっていたが残念ながら32歳という若さで逝ってしまった。70年代の過激さを懐かしく感じるのは年をとったせいだろうか。
ジャズや現代音楽に魅力を感じたのはクラシック音楽(西洋音楽)みたいに禁則が無いからだ。でも最近意外とにジャズやポピュラー音楽に規則が出来始めている事に気がつき始めた。あまり専門用語を使いたくないが巷で見かけるジャズの理論書はこのコードにはこのスケールなどクロスワードパズルの様相を呈している。もう少し単純な音楽理論、ユニバーサルな方法論をジャズの教育システムには作ってほしいと思う。
音楽大学の一年生の時、学園祭で初めてジャズの生演奏に出会う。1970年代はジャズ喫茶やライブハウス全盛の時代。新潟の田舎で育った感性にあまりにもジャズは強烈すぎた。煙草を片手にカッコよくスイングする先輩達の後をひたすら追いかけて色々教えてもらった記憶が時々蘇る。今考えると音よりファッションに気持ちが行っていたと思う(今でも?)。とにかく譜面を見ないで弾く事に憧れて弾けもしない曲をコードも知らずに弾いていた記憶がある。コード進行も解らずにプロを標榜していた自称ジャズマンも少なからずいた。あれから数十年の年月が過ぎ、憧れた多くの先輩ミュージシャンは引退してしまった。でも新世代の息吹も感じられる今日この頃、自分と同じときめきをジャズやポップスに感じてくれる人が沢山になるといいと思う。